この政府にして、この政策審議会委員有り

 「週刊東洋経済」誌の記事を直接読んだわけではないが、asahi.com 2月7日の記事によると:「(労働政策審議会の)奥谷氏は、一定条件を満たした会社員を労働時間規制から外す「ホワイトカラー・エグゼンプション」(WE)の積極推進論者。労働時間規制をなくせば過労死が増えるとの反対論に対し、経済誌週刊東洋経済」1月13日号で、「経営者は、過労死するまで働けなんていいません。過労死を含めて、これは自己管理だと私は思います」などと反論。また「祝日もいっさいなくすべきだ」「労働基準監督署も不要」とした。労政審分科会でも「労働者を甘やかしすぎ」などと発言している。」 ということである。

 政府が国民、労働者を「生産道具」としか評価していないように、人材派遣会社社長も「当然、自社の派遣社員は儲けのための手段にしか過ぎない」という意識がありありな表現である。まさに、この政府にして、この派遣会社社長、そして、労働政策審議会に打ってつけの委員選択である。パブリックコメントにおける「やらせ発言」とも合致する。なんたる政策の一貫性。

 人材派遣会社の社長であればおそらく、派遣する自社社員を大切に思い、労働環境の改善を目指した意見を提言すると思いきや、思わず、「売り込みのためには仕方がない」という会社運営上の信念を漏らしたのだろうか。社長が派遣先企業におもねる発想しかないとすれば、その会社から派遣される社員はまさに悲劇的状態にあると言える。

 さらに、「奥谷氏は朝日新聞の取材に対し、「発言の一部分だけをとらえた質問は遺憾だ。倒産しても、会社は社員を守ってくれない。早くから自律的な意識をもつべきで、労働者への激励のつもりで発言した」と話した。」としている。

 そうだとしても、柳沢大臣ではないが、言葉の選択というものがあろう。誤解を生むような発現をして、後で「そのつもりではなかった」と言って済まされるものではない。奥谷委員の本心は同審議会分科会の発言からも決して「激励のつもり」ではなかったことは明らかである。発言内容が終始一貫している。

 もちろん、労働問題に関して種々の意見があって当然であるし、発言の自由は保障されなければならない。これが民主主義の基本である。しかしながら、発言する場面を考えるべきではないか。奥谷氏が経済産業省の政策審機会委員であったとして、経営者の立場からの発言としても、氏の運営する会社の業種からみて適切な発言であっただろうか。

 そもそも、厚生労働省は他の経済産業関係の省庁と相対して、国民の健康と福祉を確保するための省ではなかったか。それがこともあろうに、国民を単なる生産手段と見なして、他の省庁にへりくだっているようではその存在価値は無きに等しい。

 人々が健全に働くことができて、国家の基礎が固まり、充実するのではないだろうか。国民を食いつぶして政府はどこへ漂着するつもりなのだろうか。

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