日本的、あまりにも日本的な

 病気腎移植問題を巡って2つの調査委員会が立ち上げられ、互いにかみ合わない方向で調査結果を纏めようとしている。最終的な報告がなされていない今、時々メディアへリークされる内容からの感想である。

 一つの出来事に2つの調査委員会が設立されること自体異常であるが、それぞれの委員会の思惑が岡目八目的に推測される。「科学的調査」と称する関係学会による調査委員会が設立されると、「否定されてはならじ」と当該医師関係者を主体として、評価の対立を目指した(?)委員会が設立された。このような動きに対して日本の医師達の大元である日本医師会は「学会と病院との対立」と見ているためか、傍観を決めつけ、曖昧な決着になることを待っているかのように見える。

 学会側は「科学的・倫理的検証」と称しているが、「先を越された無念さに基づく評価結果」となるだろう事を推定した(?)病院側は、「患者のニーズは拒みきれない」と受益者の感情的な事情を背景に、「移植を受けた患者に安心を与えるためと、グループの存続をかけた」と思わせる意図での動きのように見える。案の定、メディアに漏れ来る情報ではそのような事情がかいま見える。

 そして、互いに別の資料をもとに結論を導こうとしているのではないかと思われるような評価の違いである。あるいは、一方は他方の評価結果に対する無視を決めつけているかのように見える。そうでなければ、これほど対立する評価には至らないと思われるのだが。ここはひとつ、公開の「症例検討会」を両調査委員会合同で開き、同じ資料に対して、同じ土俵で討論を尽くすことが、不信をぬぐう道と思う。

 何らかの思惑が絡んだ(ように思われる)調査委員会が並立する状況が確定してしまえば、例え、厚生労働省が検討している「医療事故調査委員会」制度ができても全く意味をなさないことは明らかである。JR福知山線事故調査委員会の評価に対するJR側の反論がまかり通る日本の調査委員会システムである。

 それにしても日本的、あまりにも日本的な...